2009年09月29日

ハーシーとゴディバ(2009年4月号)

今はもうしていないが、かつて父はテニスをしていた。子供の頃、いつもは「オジサン」だと思っていた父が、半ズボンでテニスをしている姿を見ると、ちょっとかっこよく見えたものだ。父の通っていた大学、私も同じ大学に通ったのだが、その大学の隣には戦後しばらく米軍キャンプがあった。貧しい敗戦国の、しかも地方の小さな大学にはテニスコートなどなかった。そんなある日、父たちテニス部の学生は米軍キャンプの中に、緑の芝生の立派なテニスコートがあることを知り、英文学の先生の研究室に行って、米軍にそのコートを使わせてもらえるよう頼む手紙を書いてもらった。「その時、大学の先生っちゃあ、すごいなあっち思った。お父さんが日本語で言うのをその場でカチャカチャ、タイプで打ってくれたんよ。」と、これまで何度も同じ話を聞いたことがある。その手紙のお陰で、父たちは時々米軍キャンプの中に入ってテニスをすることを許された。その中で、見たもの、経験したことは、びっくりすることばかりだったと言う。トイレに入ったら、紐がぶら下がっていたので、恐る恐る引っ張ったら、水が流れ出して、トイレを壊してしまったのかと、しばらくその場を動けなかったらしい。売店には見たことのない物がたくさん売っていて、コーラやハーシーのチョコレートを時々買って食べるのが楽しみだったという。70歳を超えた今でも、父はコーラやハーシーのチョコレートが大好きだ。私がベルギーで買ってきたゴディバのチョコレートよりも、あの少しざらざらしたハーシーのチョコレートのほうがおいしいと言う。私もハーシーのチョコレートは好きだが、ゴディバよりもおいしいと言う父には到底同意できない。

「鬼畜米英」と育てられ、運動会ではトルーマンの張りぼてに玉をぶつける競技に興じていた小学生が、成人する頃には米軍キャンプの中でテニスをし、コーラやハーシーを大好きになるなんて、誰が想像しただろうか。軍の設備を使わせてくれた米軍の厚意、キャンプの中で接した米兵の親切、そしてキャンプの中で目にした豊かなアメリカ文化の一端が、父の心の中に大きな影響を与えたに違いない。だから父にとって、コーラはただの「飲み物」ではないし、ハーシーはただの「チョコレート」ではない。いろんな思いや思い出が混ざり合ってできた、特別な意味を持ったものなのだと思う。

私たちはカンボジアで教育支援事業を始めようとしている。これから多くのカンボジアの人々と知り合い、交流することになる。かつての父のハーシーのように、私たちの間にどんなものが生まれ、そのことを通して、私たちがどのように変わっていけるのか楽しみだ。
posted by e-dream-s at 00:18| Comment(0) | 塚本 美紀
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: