2009年09月21日

老眼鏡(2009年3月号)

人間誰でも年を取れば、年相応に老ける。私ももう53歳、まもなく54だ。自分も老けていく。そんなことはもちろん分かっているし、年を取って行く自分の姿を毎日鏡で見てもいるはずなのだが、自分の老けを本当に実感しているかというと、そうでもない。

20代前半の頃、子供に「おじさん」と呼びかけられた事がある。自分では「お兄さん」だと思っていたのに、その子にとっては、そしておそらく多くの小さい子供たちにとって、自分が「おじさん」だったことを知り、少なからずショックを受けた。今だに覚えているのは、そのショックが結構大きかったということだろう。
30歳はとくに感慨もなく過ぎたが、40歳になったとき、自分はすでに「若手」ではなくリッパな中年であることをある種の諦めとともに実感した。しかし数年前に50歳になったときは、とくにショックという様なものはなかった。「これでオレもジジイだ」などとやや自虐的に人に言うようになったり、いよいよ定年までカウントダウンだなと思ったりはしたが。

ところでこの土曜日に合格者説明会というものがあった。入学試験の合格者とその保護者を集めて、高校生活に必要な様々なことをお伝えする、という日である。説明会は無事終了し、プレゼンテーションに使ったiBookを片付けて、体育館を出て自分の部屋LL準備室に戻ると新1年生の学年主任から内線電話がかかって来た。

「辻先生、体育館の長机に老眼鏡を忘れられたのは、先生だと思うんですが、そうですか?」
「あ、そうです、そうです。」
「それで、そうじゃないかと思って、職員室で先生のレターケースに入れようとしたんですが、入らないんで・・・。どうしましょうか?」
「電話の横に置いといて下さい。わざわざありがとうございます。」

と、何事もなく電話の会話を終えたのだが、実は「老眼鏡」という言葉にかなり動揺していたのである。

私は若く見られることが多い。特に秘密にしているわけではないので、生徒たちに年齢を聞かれれば答えることにしているが、生徒たちは一様に驚く。みんな40代だと思っているのである。もちろんそれが嬉しくないわけはなく、生徒たちの手前、表情は変えないものの内心「むふふふふ」と喜んでいる。内心「見かけも若いかもしれんが、オレは今時の歌やお笑いやマンガのことも知っているしな。若く見られても当然だな」などとうぬぼれているのである。

しかるに「老眼鏡」である。数年前から小さい字が読みづらくなった。特に薄暗いところはダメである。それで読書をしたりデスクワークをするときはやむを得ず眼鏡を使うようになった。だが私は自分の眼鏡を「老眼鏡」とは呼ばず単にメガネあるいはリーディンググラスなどと呼んでいるのである。それなのに「老眼鏡」である。

しかし確かに老眼鏡は、老眼鏡なのだ。年を取って字が読みづらくなって作ったメガネが老眼鏡でなくてなんであろう。だから誰も私がリーディンググラスを使っているなんて思っていなかったのである。私は老眼鏡を使っている人だったのだ。それなのにリーディンググラスなどと呼び名を変えて自分が年を取っていることを誤摩化していたのである。

こと程左様に、自己客観化は難しい。自分が、年を取って執着がなくなり、少しは自分をありのままに受け入れられるようになったと思っていたのだが、結局「老眼鏡」でショックを受ける程度の自己客観化だったのである。

花粉の季節が終ると一つ年を取る。今年の春は自分が定年の迫るジジイ教師であることを受け入れて、自己イメージの再構築をしなければならんと感じる今日この頃である。





posted by e-dream-s at 00:08| Comment(0) | 辻 荘一
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